最先端は理解されない。「最先場」ぐらいのところにいればいい・・・いとうせいこう、みうらじゅんの不遇時代に学ぶクリエイティブ
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4月5日に放送された「いとうせいこう・みうらじゅん ザツダン!」(文化放送)は興味深かった。
みうら氏は「ガロ」(青林堂)でデビューした。が、その前に何社かに作品を持ち込み、ことごとく落とされ「『ガロ』に持っていけば?」と言われた。しかしその「ガロ」でも「こんな作品を書いている奴がいる」とまだデビュー前の久住昌之、根本敬などの作品を見せられた。みうら氏は「お前は変なのを描いているつもりだろうけど、こんなのを描く奴がいるんだよ」と言われたような気がした、と述べている。
デビューできたのも、なかなか掲載してくれない「ガロ」に文句を言いに行き、「じゃあ自費出版で出せば?」と、写植が入った原稿を突き返された。連載陣のページが多くなったため掲載が延び延びになっていたため、未掲載となっていただけだったのだ。
みうら氏は知り合いの糸井重里氏に相談したところ「漫画は面白くない。だけど写植まで入ってるし、編集者に知り合いがいるから頼んでやる」と。それでデビューが決まった。持ち込んでから1年が経っていた。
いとう氏もゲームを題材にした小説「ノーライフキング」を出版社に見せたところ、理解されなかったらしい。中森明夫氏などは原稿の段階で絶賛したそうだが、間に入った人が「今すぐ出すべきだ」と言ってくれて出版となったが、これも出版まで1年ほどかかったそうだ。世間では「ドラクエ」が流行り始めていた。
そこで得た両氏の教訓は「最先端は理解されない」ということ。最先端はあくまで「端」。「端」とは2、3人ぐらいしか乗っかれない極めて不安定な、グラグラした場所。「最先場」ぐらいなら何十人かいるから、そこには理解してくれる人がいる、ということ。ひとりに見せて駄目でも、他の人ならいいと言ってくれる人がいるということを学んだそうだ。
自分が最先端にいても、世間が熟すには時間がかかる。「最先場」にいるのがいいとの話だった。
今でこそキンドル・パブリッシングなどで個人が自由に出版ができる時代だが、ごく少数のエラい人の判断に委ねざるをえなかった時代をみうら、いとうの両氏は生き抜いてきた。「降りる」ことで見えることもある。現在、クリエイティブでは最先端にいるように見える両氏は「最先場」にいるからこそ多くの人の目に触れられているのかもしれない。ネットでも炎上させるのは簡単でも、ひと月もすれば忘れられる。「過激」で生きていける人は少数なのだ。両氏の結論。
『早すぎるのと遅すぎるのは、同じ』